2023年に開催された東京文化財研究所 第57回オープンレクチャー「かたちを見る、かたちを読む」にて、「「原爆の図」の歴史をつなぐ」と題して、美術館の岡村幸宣氏が講演を行いました。レクチャーに続いて『美術研究』への寄稿を依頼された岡村氏が、建築に関わる部分の執筆をしてみないかと言ってくださり「第一章 小さな歴史の積み重なりとして美術館の建築を読み解く」を書きました。美術館の変化を、丸木位里、丸木俊の作品との関わりから描き出す岡村氏の文章と、建築の物質的変化を拾い出す齋賀の文章が、折り重なる小論となっています。
研究ノート原爆の図丸木美術館の建築の「変化」と、丸木位里、丸木俊の共同制作
京都工芸繊維大学大学院建築都市保存再生学コース 保存再生学シンポジウム 2024 第1回保存修理と先端デザインはいかに統合されうるか ー旧富岡製糸場西置繭所保存整備事業から考えるー
© Junpei Kato
日時:2024年7月13日(土)14:30~18:00
会場:YouTubeによる開催
趣旨説明:清水重敦(京都工芸繊維大学)
講師:岡野雅枝(富岡市富岡製糸場課学芸員)、齋賀英二郎(wyes architects)、西岡聡(文化庁文化資源活用課文化財調査官)
主催:京都工芸繊維大学大学院建築学専攻/京都工芸繊維大学KYOTO Design lab
後援:公益社団法人日本建築家協会/一般社団法人日本イコモス国内委員会/一般社団法人DOCOMOMO Japan/京都市文化財マネージャー育成実行委員会(特定非営利活動法人古材文化の会、公益財団法人京都市景観・まちづくりセンター、一般社団法人京都府建築士会、京都市)
2020年、足掛け6年に及ぶ工事を終えた旧富岡製糸場西置繭所の保存整備事業を題材にしたオンライン・シンポジウムが開催され、齋賀が講師として登壇しました。進行は、清水重敦氏。事業主である富岡市富岡製糸場課の岡野雅枝さん、管轄の官庁である文化庁文化資源活用課の西岡聡さんとの並びで、立場の違いも浮き彫りにしながら、大きな共通の目標を持って推進したプロジェクトであることが、示された貴重な機会となりました。
歴史的建造物に対する実践的な取り組みにおいて、理念や手法は念頭におきつつも、そもそもの意義や動機づけを見定め、個別のプロジェクトにおける作法に育てていくことの重要性について考えを述べることができたと思います。
シンポジウムの様子は後日、公式チャンネルで公開される予定です。
KYOTO Design Lab https://www.youtube.com/@KYOTODesignLab/videos
全日本海員組合本部会館 保存改修プロジェクト 連続研究会 2建築の保存と活用を結ぶ ー「継承」のあり方
© 全日本海員組合本部会館将来構想および歴史調査委員会
日時:2024年6月21日(金)18:00~20:30
場所:法政大学市ヶ谷田町校舎及びオンライン
司会:頴原澄子(千葉大学)
主旨説明:藤本貴子(法政大学)
講師:齋賀英二郎(wyes architects)、中山裕子(JTBコミュニケーションデザイン)
コメント:今関俊(公益財団法人 文化財建造物保存技術協会)、玄田悠大(東京大学・独立行政法人職員)、松隈章(株式会社 竹中工務店・一般社団法人 聴竹居俱楽部)
主催:全日本海員組合本部会館将来構想および歴史調査委員会
今年の秋(2024)に改修工事完了を予定している全日本海員組合本部会館。プロジェクトに並走するかたちで、「全日本海員組合本部会館将来構想および歴史調査委員会」が設置されています。指定文化財ではない民間所有の保存改修プロジェクトにこうした委員会が自主的に設置されているのは、非常に珍しい事例だと思いますが、設計者である野沢正光氏(故人)の発案をうけて組合が設置を決定したそうです。
委員会が主催する研究会に、「建築を見つめる小さな仕掛けとしてのマップ」と題し、齋賀が講師で参加しました。建築を残し、かつ生かしながら、伝えていくために必要な役割としての「コミュニケーター」について研究会の頴原澄子氏、藤本貴子氏が着目して企画した研究会でした。マップはありふれた、あるいはあふれかえったツールであるかもしれませんが、建築との相性の良さは、まだまだ深めていける可能性があると私たちは考えています。
チラシPDF
[特集]近現代建造物の今とこれから近代化遺産の見方/伝え方 ー旧佐渡鉱山採鉱施設と旧富岡製糸場西置繭所の場合ー
近年、文化財指定が進む近現代建造物。少しずつ拡張していく文化財建造物のカテゴリーは、その価値観の変容も促しています。特集では、さまざまな角度から、近現代建造物の文化財的取扱について論じられています。齋賀は、近現代建造物よりは先んじて指定の対象となった近代化遺産のうち、2つの産業遺産(旧佐渡鉱山採鉱施設、旧富岡製糸場西置繭所)を題材にしながら、近現代建造物にもつながる課題と、その読み解き方についての論考を寄稿しました。
目次はコチラ
[特集]時の積み重ねをデザインするケーススタディ3:旧富岡製糸場西置繭所保存整備事業
TOTO通信の30周年記念として組まれた特集「時の積み重ねをデザインする」に、旧富岡製糸場西置繭所の保存整備事業が掲載されました。一般的な建築行為として定着して久しいリノベーション。近年は、既存建築をストックと捉えるのとは違う、まさに「時を積み重ねた建築」として見つめ、そのポテンシャルを素材にした改修プロジェクトが増えてきており、その可能性を掘り下げる意欲的な特集となっています。冒頭、加藤耕一先生を相手に編集者の伏見唯氏と展開する議論にもたくさんの示唆あるコメントがあり、充実した冊子となっています。
詳細ページ
[特集]ガラス再発見事例掲載:旧富岡製糸場西置繭所保存整備工事
雑誌「ディテール」に旧富岡製糸場西置繭所で新たに設置したガラスボックスのディテールが掲載されました。補強鉄骨(既存建築の軸部変形に追従する)に取り付くガラス。設計期間中、さまざまな現代のガラス・ディテールを観察して歩き回りましたが、なかなか参考にできる事例がなく、実現には施工者とガラス・メーカー(AGC硝子建材)の協力が不可欠でした。他のプロジェクトと並ぶと、また違った印象が生まれて新鮮です。
目次はコチラ
「変化のかけらとその続き」展覧会カタログ
執筆:岡村幸宣、齋賀英二郎、八木香奈弥
写真・編集:wyes architects
デザイン:SHIMA ART&DESIGN STUDIO
発行:原爆の図丸木美術館
発行日:2024年3月1日
頒価:1100円(税込)
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2023年に開催した『変化のかけらとその続き 原爆の図丸木美術館 調査の記録/改修計画案』の展覧会カタログ。
目次と奥付を中心に据えた両A面のような構成は、展覧会チラシにも共通したかたち。
以下は「展示解説」からの抜粋
私たちは、ピンセットでつまみあげるように、あるいは虫眼鏡でのぞきこむようにかけらを集めて、配列し、組み合わせて、新しく添える素材について考えながら、記憶も、記録も、アイデアも、できるだけ丁寧に、ゆっくりと混ぜ合わせるように、しかし混濁してしまわないように展示を作り込んでいった。美術館のありようをなぞりながら、手つきはそのままに、いつのまにか美術館のこれからの姿を描いていく。そのためには、なんどもなんども繰り返し、少しずつちがうやり方で、美術館で息を潜めるささいなものごと/できごとを反芻していくような手続きを必要としているのかもしれない。この小さな展示は、その小さなレッスンでもある。
京都建築映像祭プレ・プログラム KAFF座 2024 Vol.01
建築と文化財、とその間
建築をテーマに据えて、哲学/歴史など分野を横断し読み解きながら、映画上映/展示/レクチャーを企画するイベント。
2024年から秋に向けたプレ・プログラムとして「KAFF座」を開始。第1弾として京都の町家で開催されたイベントに参加しました。
wyes architects のプロジェクトへの遠回りなアプローチと、その背景にある考えについて話しました。
チラシPDF
第10回日本建築学会近畿支部建築史部会研究会歴史と対話する建築 「リノベーション」を再定義する
日時:2024年3月9日(土)13時~17時
会場:立命館大学衣笠キャンパス末川記念会館
司会:前川 歩(畿央大学)
主旨説明:青柳憲昌(立命館大学)
発表:魚谷繁礼(魚谷繁礼建築研究所)、家成俊勝(dot architects)、齋賀英二郎(wyes architects)
コメント:田中禎彦(文化庁)、大場 修(立命館大学)
主催:日本建築学会近畿支部建築史部会
後援:日本建築学会建築歴史・意匠委員会日本建築史小委員会
建築固有の歴史を建築家はどう読み込むのか。
歴史的建築の改修に取り組む、現代の建築家たちによる「既存建築の歴史との対話」について議論し読み解くシンポジウム。
リノベーションを題材に、建築史と現代建築デザインの接点を探りつつ、両者の関係を改めて問い直した企画。発表者として齋賀が登壇しました。
ポスターPDF
原爆の図丸木美術館改修計画案発表
出演:岡村幸宣(原爆の図丸木美術館学芸員)、水沢勉(神奈川県立近代美術館館長)、内山章(スタジオA建築設計事務所)、齋賀英二郎+八木香奈弥/wyes architects
開催日:2023年11月23日
会場:原爆の図丸木美術館 新館ロビー
「変化のかけらとその続き 原爆の図丸木美術館 調査の記録/改修計画案」で行ったトークイベントの記録です。美術館に積み重なってきたもの/時間を把握して、一部には新しい要素も追加して、それぞれ各部分の関係性をつなぎなおす(=再構築する)という考え方について、話しました。水沢勉(神奈川県立近代美術館長)、内山章(スタジオA建築設計事務所)、岡村幸宣(原爆の図丸木美術館学芸員)の3氏からは示唆に富んだコメントもいただきました。
https://youtu.be/nUzGmJ2Lm3Y
トーク抄録(出典:『丸木美術館ニュース』2024年1月15日, 第156号, p.4-6, 原爆の図丸木美術館)
変化のかけらとその続き
出演:岡村幸宣(原爆の図丸木美術館学芸員)、齋賀英二郎(wyes architects)
撮影・編集:川田淳
撮影アシスタント:寺田鵬弘
企画:原爆の図丸木美術館、wyes architects
制作:原爆の図丸木美術館
助成:野村財団
2023/10/7から12/10まで開催した展示「変化のかけらとその続き 原爆の図丸木美術館 調査の記録/改修計画案」関連企画。 丸木美術館の建物調査で発見した「変化のかけら」(使用と改造の痕跡)。 変化のかけらを通して見えてくるもの/考えようとしていることを紹介しました。 改修計画は、美術館がこれまで過ごした時間をふまえた「その続き」となるように考えています。
https://youtu.be/YxRjrZU0BbA
原爆の図丸木美術館改修計画案について
丸木美術館は、大きく分けて5つの建物が集まって全体をかたちづくっている。1967年開館の平屋建て、1970年に移築された小高文庫、1974年増築の別館に、1983年増築の本館2階、1991年増築の新館である。しかし、仔細に見ていくと、新館と同時に増築されたトイレや外水栓を取り込んでつくられた給湯室も、半分独立した建物ともとれる。さらに、建物同士の重なりや、つなぎ、隙間の部分は、自立こそしていないが、建築的な型をもったパーツとなっている。建物全体や美術館という用途から考えれば、本体から取り残されたような部分、例えば増築時に生まれた中間階、物置、渡り廊下(と呼ぶにはあまりに短いつなぎ目)、はっきりした呼び名もつけようのない場面があちらこちらに紛れ込んでいる。こうしたパーツのほとんどは、ふだん来館者の目には触れない裏のスペースであったり、目に届く箇所であっても、掲示や貼り紙など、その他の要素にカモフラージュされたりして、意識されることはない。什器やサインについても同じで、いつの間にか美術館に持ち込まれて、館内を転々とし、そのうち定位置を確保して居座ったり、放っておかれたりしている。
私たちは調査を通して、これらのさまざまな使用と改造の痕跡(美術館の岡村幸宣氏と話をしているなかで「変化のかけら」と命名された)を観察してきた。改修では、「変化のかけら」を少し開いて、来館者も通り過ぎたり、腰を落ち着けたりできる場面へと切り替えていく計画である。階段の途中に挟まれた中間階は北桟敷として小さな作品を鑑賞できる場所とし、細長い廊下は、増築時にふかした壁の凹部に展示壁と向き合う腰掛けを設けて、アートスペースとして展示空間に置き換える。エントランスと新しい執務室兼資料室(旧展示室)を隔てるコンクリートブロックの壁は部分的に取り除いて、奥へと続く美術館を予感させる構えとし、ブロックは2つの室の境に設けるカウンターに転用する。大きな順路や機能は設定しながらも、「変化のかけら」に着目して、ルートを横切ったり停滞させたり、役割をあいまいにしたりする経路、視線、居場所を仕組んでいくことが狙いだ。考えているのは、美術館に流れ/積もってきた時間を、眺め/感じるポイントを見つけ出し、少しだけ目に見えて、肌で触れられるように操作を加えることだ。
2023年10月7日にはじまった企画展「変化のかけらとその続き 原爆の図丸木美術館 調査の記録/改修計画案」では、1/20のスケールで、改修計画案の部分模型を数点展示した。全体ではなく、部分の模型としたのは、最初に記したとおり、丸木美術館とは、大小(あるいは表裏)いくつもの建築がパッチワーク状に重ね合わされてできた建築だと読み込んだためである。模型を一目見れば、どこを切り取っても同じところがなく捉え所がない、しかしだからこそ、たくさんの表情をもったこの美術館に積層した豊かな時間を感じ取ることができるはずだ。私たちの提示する改修計画案は、作品を次代に送り届けるため、現代に追加する当て布でもある。
丸木美術館には、美術館にとっての芯である《原爆の図》を何度でも振り返る時間と、作品、そして作品とすでに不可分な存在である美術館を未来へとつないでいく時間、2つの時間が常に併存している。「変化のかけら」は、2つの時間を接続するかすがいである。そのかすがいが、強固でしなやかであればこそ、次の20年、30年を丸木美術館が生き抜いていく力になる、と私たちは考えている。
齋賀英二郎
丸木美術館ニュース 第155号
発行日:2023年10月15日
編集・発行:公益財団法人原爆の図丸木美術館
「趙根在写真展 地底の闇、地上の光 ー炭鉱、朝鮮人、ハンセン病ー/原爆の図丸木美術館」、「ハンセン病文学の新生面 『いのちの芽』の詩人たち/国立ハンセン病資料館」。2つの展示について。
趙の写真は、外との交流さえ限定的で、ましてや写真に映ることに強い拒絶があった療養所のハンセン病患者たちが、真正面を向いて写真におさまる点に、ひとつの特色があるという。そこに、異形のものを映し込んでやろうなどという意図は感じさせない。親密な空気が通ったのだろうと、こちらが信じたくなるような気配に満ちている。人物を通して、被写体がまとう衣服や巻きつけられた包帯、わずかに手にひっかかったキセル、あぐらをかく畳、うしろに控える障子、ごく数の少ない家具、頭上の照明器具、それぞれの要素が、妙に粒だって見えてくる。
写真は、ハンセン病患者たちが、その言葉をどんなふうに書きつけたのか、またどんなふうに読み込んだのか、も捉えている。そうして咀嚼され、生み出される言葉の密度は、普段私が目にし、叩いている言葉とは、似て非なるものであるかもしれない、とこれは、「ハンセン病文学の新生面」を鑑賞してこそ思い浮かぶ感想だ。
同じような感想を、彼らが使いこなす道具に対しても抱いた。道具は、しばしば身体の感覚器官の延長として表現される。しかし、趙の写真に映る、にかっと笑う顔にかけられたサングラス、器用に(あるいは不器用に)咥えられた万年筆、松本明星が詩に描く、動きを失いつつある手にかかえこむ『杖』、これらの道具は、身体の延長としてではなく、松本が「きれめのない闇」と表現した彼らの周囲に拡がる世界の確からしさ(あるいは不確かさ)を感じ取るために、欠かすことのできないものなのではないかと思えてくる。自分自身が周囲と接続している、接続を保っていることを確認するために携える道具。写真と詩を往復することで、趙について、詩人たちについて、こちらのイメージが喚起/増幅されていく。
道具類は、外から購入するとは限らない。「患者作業」として強いられる仕事は、言葉から想起するのとはかけ離れた広範な内容に及んでいる。義足などは自分たちの手で製作されもした。大工もやれば、道路工事も行う。豚も鳥も牛も飼う。限定された敷地の中で、規則として実現される自給自足の生活。UターンやIターンで農山村に定着し、理想をかなえるために行うものとは、まるで異なる経緯で営まれる共同体(と呼ぶのが正しいのかは分からない)のありように、静かに衝撃を受ける。火葬や、納骨堂の建設さえも患者たちの手によって行われていた。無理やりに詰め込まれて圧縮された社会の姿が写真に映り込んでいて、そこに身を置く人々が形成したものが詩篇として結晶化された、とも言える(状況は段々と改善されていったものでもあるというから、過度に想像を膨らませてはならないのかもしれない)。
不自然に圧縮された社会、という印象が手伝うのか、趙の写真にはもうひとつ気になった点がある。彼が切り取る療養所の風景は、撮影した当時にあってもひとつふたつ時代が遡ったもののように見えたのではないか、という点だ。「患者作業」にどんなに習熟していたとしても、材料、道具、技術、機械など、すべてが戦後激変する外の社会と同じようには手に入らなかったであろうし、ビルや高度なインフラ設備など都市化を前提にしたものが、療養所の中で(少なくともすぐに)必要になるはずもない。撮影されるよりも前から更新されることがなくなって、少しずつ境界の外と位相がずれて時間が歪み、そうして境界の内側に取り残されていったものが写真に映されている。と、そんな錯覚を覚えるのも理由がないことではない。しかしだからこそ、患者たちが(外の世界へと抜け出ようという意思や希望や努力とは別に)自分たちを周囲につなぎとめておくためのぎりぎりの条件がそこにはあったのかもしれない、という考えが頭をよぎる。ハンセン病資料館で松本明星の隣に掲げられていた谺雄二の『鬼瓦よ』と題された詩からも、圧縮された環境にあって、本来は通じるはずのない気脈(空に属する鬼瓦と地上を這う僕)が通じたような、趙の写真と同じトーンを感じるのは、私だけであろうか。
別々の企画として考案されて催された展示が、それぞれ見事に呼応して「ひとつの展示」になっていくという結果を目の当たりにして、いまだに冷めやらぬ不思議な気分を抱えている。
齋賀英二郎
変化の途中をデザインする
原爆の図丸木美術館は、丸木位里・丸木俊という二人の作家が、作品の名を冠して1967年に建設し、開館から現在にいたるまで、作家や作品とともに変化し、成長し続けてきた稀有な美術館です。
5月5日の56週年開館記念日に、美術館の改修設計を担当することになった私たち wyes architects が、美術館の建築そのものにフォーカスして、事前の調査における気づきや発見、さらに改修設計のアプローチについて語りました。
ゲストには建築史家である加藤耕一氏(東京大学教授)を迎え、司会を美術館学芸員の岡村幸宣氏がつとめています。
作家、作品、そして美術館に集う多様な人々とともに変化を続けた美術館の、次なる変化をどうデザインするのか。トークでは、かつての美術館の姿を捉えた貴重な写真資料も紹介しました。
https://youtu.be/orCfQ5Q1b_o
トーク抄録(出典:『丸木美術館ニュース』2023年7月15日, 第154号, p.3-5, 原爆の図丸木美術館)
変化の途中をデザインする —丸木美術館の改修に向けてのアプローチ—
丸木美術館とは、どんな美術館ですか?と問われたのであれば、まず原爆の図について、その成り立ちも含めて語りおこし、丸木位里、丸木俊という二人の稀有な作家のことや共同制作のスタイルに触れて、次には作品、そして二人のもとに集まり、また去ってもいった数知れない人々に関しても説くべきかもしれない。ただ、今回の美術館改修プロジェクトにおいて、私たちがとるアプローチは少しだけ異なっている。それは、建物自体に備わる価値の所在を探ることから、美術館のあるべき姿を考えるという方法だ。価値と言って大げさに聞こえたら、特徴と言い直しても良い。12年半の間、私が文化財建造物の保存と活用に携わる中で培ってきた方法の応用である。
私たちの取組みは建物の調査から始まった。調査では、作品ではなくて、床や地面、壁、天井、屋根に視線を注ぐ。幾たびも手を加えられた跡が残る壁、雨染みが点々とつく天井、天井まで積み重なった書類、とその奥で傾く本棚にぎゅうぎゅうに詰め込まれたたくさんのアルバム。調査を進めると、先にあったものを残しながら、次々と付け足していくように増改築が重ねられてきたことが分かってくる。アルバムをめくれば、美術館と呼ぶにはやや小ぶりな開館当初の建物、丸太足場を用いた増築工事中の様子、竣工したばかりの八怪堂でポーズをとる位里、雪の積もった敷地を散策しながらイタズラっぽい笑顔を向けるサングラス姿の俊が見つかる。その次には、最初は不定期に刊行されていた美術館ニュースにも目を通す。関係者からは、途切れ途切れの思い出話や、又聞きの逸話を聞いたりもする。会ったことも見たことさえもない二人の作家、この場所に足を踏み入れた有名無名の人々が、次第に像を結び始めて、まるで美術館を舞台にした無声映画のように、ぎこちなくうごめきはじめてくるようだ。ただし、いくら凝視しても解像度は決して上がらないし、ちぎれた思い出に、分かりやすい起承転結があるわけでもない。私たちは、あくまでも物語からはこぼれ落ちてしまうしかないような、しかしだからこそ、そこに人の手が触れて、足で踏み締められた感触を確かめることができるような、細部や断片(変化のかけら)を探索していく。
言い換えるなら、建物を調査すること、とは、一つひとつは物言わぬかけらをきっかけにして、いままで見えていなかった丸木美術館の姿を自分たちの手で描き直してみることでもある。ある人にとっては、くたびれ果てて膝の崩れた役馬のように見えるかもしれない美術館の建物は、私たちの目には、作家や美術館スタッフによって、使い込まれ、鍛え抜かれた頼もしい古道具にも似たものとして映り込む。そうして今度は、描き直した姿を下図にして、次の10年、20年、さらにその先へと、原爆の図を残し伝えていくための丸木美術館のあるべき姿を重ねて描こうとしている。
古道具だと喩えるのなら、役目を終えたものとして、大切な作品を納める建物を最新の器に変える選択をすることにも一考の余地はある。しかし、丸木美術館は1967年の開館当初から、数年おきに少しずつ、あるいは大胆に手を加えられながら、作家、作品、人々とともに変化し続けてきた美術館だ。時には明確な目的を欠いたまま場当たり的に改造されることもあったがゆえに、今となっては理解しがたい不思議な隙間や突起物がそこかしこに見つかる。だが、一見すると計画と無計画がごちゃまぜに集積したように見える建物に、作品もスタッフも、そして美術館を訪れる人々も、ごく自然に無理なく順応している。そんな変化の歴史に目を向ければ、ある意味で美術館の建物は、作品とすでに不可分なほど癒合している、とさえ感じられてくる。私たちが思い描くのは、美術館が経験してきた変化/進化の延長線上にあって、次の変化に備えるために、いま必要な姿へと、美術館を漸進的に更新するような改修プロジェクトだ。
齋賀英二郎
丸木美術館ニュース 第153号
発行日:2023年4月15日
編集・発行:公益財団法人原爆の図丸木美術館
「母袋俊也展 魂ー身体そして光」展覧会図録
はじめに、母袋による、作家自身の経験と、《原爆の図》と丸木美術館の成り立ちを重ね合わせた、一読すると、得心がいくような、しかし企画展図録冒頭のテキストとしては、一風変わった印象の言葉が並ぶ。このテキストは、自らの言葉で、母袋俊也ー丸木位里ー丸木俊(赤松俊子)ー原爆の図ー丸木美術館の連なりに、ある脈絡を与えようとする試みとしても読むことができる。
岡村幸宣の論稿では、丁寧に作家の制作とその変化を追いかける。母袋による表現は、こうして別な言葉によってトレースされ、翻訳されることで、また少し異なる文脈に接続されていく。最後の一文は、ひとつ前、蔦谷楽の企画展を想起させつつ、《原爆の図》への解釈を開いたままに終える。丸木美術館における企画展が、輻輳するテーマが呼応し、反響しながら、ひとつながりの系譜をかたちづくっていることに、改めて気付かされる。
後藤秀聖のインタビューは、美術館のYouTubeチャンネルにも、インタビューに応える作家の様子やアトリエの風景が、動画で記録されている。図録にのみ収録されている聞き手の問いかけは、それをきっかけにして、作家の思索と作品に、読者(と視聴者)が近づいていく手引きとなっている。
写真家内田亜里による、作品と会場風景写真の流れるような構成(展示順に並べられている)を含めて、作家と丸木美術館の現在が記録された貴重な一冊だ。
最後に。あくまで建築目線で言うと、《美術館構想のためのプランドローイング》(2022、No.13)は必見だ。実際よりも急な傾斜に見積もられた斜面、南北が反転した建物と斜面の位置関係、立面の横に描き込まれていく作品展開図、屋根を突き抜ける梯子。美術館が、いかに母袋に着想を与えたのか、そして母袋が、どう美術館をいかして見せるのか。このドローイングが、私たちを勇気づけてくれる。
齋賀英二郎
「母袋俊也展 魂ー身体そして光」展覧会図録
執筆:母袋俊也、岡村幸宣、後藤秀聖
会場写真撮影:内田亜里
発行:原爆の図丸木美術館 2023年1月
変化のかけら —丸木美術館建物調査から見えてきたもの—
原爆の図丸木美術館は、画家の丸木位里と丸木俊が、共同制作の「原爆の図」を展示するために建設し、何度もくりかえし改築と拡張を行ってきた美術館です。
しかし、近年は老朽化が進み、絵を守る性能を高めるための改修工事を行うことが決まっています。
そこで、私たち wyes architects は、美術館とともに、これまでの歴史と現在の状況を調査し、画家や絵とともに変化を続けてきた美術館の建築を記録にとどめる作業を行ってきました。
この美術館には、よく観察すると、一見、不思議な部分がたくさんあります。人ひとりがようやく通れるすき間、階段の途中にある物置、壁のあいだに差しこまれた収納、途中で変わる床の高さ、ふさがれたいくつもの開口部などなど。それらは丸木美術館の 55 年の経験であり、多彩なノイズとなって美術館に表情を与えています。
トーク(オンライン)では、調査によって見えてきた、美術館に残る使用と改造の痕跡=「かけら」の記録の一部を、図版とともに紹介しました。
https://www.youtube.com/live/Y-iFaw_3faQ
"TOMIOKA" 田村尚子 写真とインスタレーション
ほとんど忘れ去られかけている、あるいは私たちの多くが記憶するよりも前に忘れてしまっていて、しかし再び思い出されるのを、ただじっくり待つともなく待ち続けている。そんな風に表現してみたくなる場面が富岡製糸場のいたるところに潜んでいるのだ、と田村尚子の写真は教えてくれる。
富岡製糸場は、1987年に操業を停止したあとも取り壊されることなく守られ、その後、所有が片倉工業から富岡市に移り、公的に保護の措置が図られることとなった。2005年から日本を代表する産業遺産として公開されており、2014年の世界遺産登録、2020年の西置繭所保存整備工事竣工と、ゆっくりとだが着実に、公開範囲を広げている。しかしながら、100を超える建造物と工作物を保存しながら公開することは容易ではない。保存のための工事も難易度が高く、細心の注意を払って進めなくてはならない。そうした訳で、未だに公開できないエリア、建物が多く残る。そこには、停止した状態のままの機械、従業員の名札、生糸の生産状況を記した黒板のメモなど、つい数年前まで、工場として稼働していたのではないかと錯覚するような気配に溢れている。
田村尚子は未公開範囲にも分け入って、耳を、目を、澄ませて場内を歩き撮影を行なった。そして、すでに公開されている範囲でも、やはり同じ仕方で撮影した。田村の写真を見ていると、シャッター音の反響に、生糸を巻き取る枠の回転音の残響や、仕事を終えて作業着を洗濯する水の音がかすかに紛れて聞こえてきたのではないかと思えるようであるし、肉眼では見ることができない、台車を押して廊下を通り過ぎる従業員や、仕入れたばかりの繭を乾燥にかける機械のバルブを調整する人夫の残像が、写り込んでいるかのように想像することも許されるような、そんな気がしてはこないだろうか。
齋賀英二郎
"TOMIOKA" 田村尚子 写真とインスタレーション