カタログ/Catalogue

「変化のかけらとその続き」展覧会カタログ

変化のかけらとその続き展カタログ

執筆:岡村幸宣、齋賀英二郎、八木香奈弥

写真・編集:wyes architects

デザイン:SHIMA ART&DESIGN STUDIO

発行:原爆の図丸木美術館

発行日:2024年3月1日

頒価:1100円(税込)

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2023年に開催した『変化のかけらとその続き 原爆の図丸木美術館 調査の記録/改修計画案』の展覧会カタログ。
目次と奥付を中心に据えた両A面のような構成は、展覧会チラシにも共通したかたち。

以下は「展示解説」からの抜粋

私たちは、ピンセットでつまみあげるように、あるいは虫眼鏡でのぞきこむようにかけらを集めて、配列し、組み合わせて、新しく添える素材について考えながら、記憶も、記録も、アイデアも、できるだけ丁寧に、ゆっくりと混ぜ合わせるように、しかし混濁してしまわないように展示を作り込んでいった。美術館のありようをなぞりながら、手つきはそのままに、いつのまにか美術館のこれからの姿を描いていく。そのためには、なんどもなんども繰り返し、少しずつちがうやり方で、美術館で息を潜めるささいなものごと/できごとを反芻していくような手続きを必要としているのかもしれない。この小さな展示は、その小さなレッスンでもある。


トーク/Talk

京都建築映像祭プレ・プログラム KAFF座 2024 Vol.01
建築と文化財、とその間

KAFF座 2024 Vol.01

坐学者:齋賀英二郎

モデレーター:田村尚子

日時:2024年3月10日(日)15時~16時半

会場:堀川の家

主催:京都建築映像祭事務局

協力:永運院

企画:ヴュッター公園

建築をテーマに据えて、哲学/歴史など分野を横断し読み解きながら、映画上映/展示/レクチャーを企画するイベント。
2024年から秋に向けたプレ・プログラムとして「KAFF座」を開始。第1弾として京都の町家で開催されたイベントに参加しました。
wyes architects のプロジェクトへの遠回りなアプローチと、その背景にある考えについて話しました。

 チラシPDF


シンポジウム/Symposium

第10回日本建築学会近畿支部建築史部会研究会
歴史と対話する建築 「リノベーション」を再定義する

歴史と対話する建築

日時:2024年3月9日(土)13時~17時

会場:立命館大学衣笠キャンパス末川記念会館

司会:前川 歩(畿央大学)

主旨説明:青柳憲昌(立命館大学)

発表:魚谷繁礼(魚谷繁礼建築研究所)、家成俊勝(dot architects)、齋賀英二郎(wyes architects)

コメント:田中禎彦(文化庁)、大場 修(立命館大学)

主催:日本建築学会近畿支部建築史部会

後援:日本建築学会建築歴史・意匠委員会日本建築史小委員会

建築固有の歴史を建築家はどう読み込むのか。
歴史的建築の改修に取り組む、現代の建築家たちによる「既存建築の歴史との対話」について議論し読み解くシンポジウム。
リノベーションを題材に、建築史と現代建築デザインの接点を探りつつ、両者の関係を改めて問い直した企画。発表者として齋賀が登壇しました。

 ポスターPDF


トーク/Talk

原爆の図丸木美術館改修計画案発表

原爆の図丸木美術館改修計画案 発表

出演:岡村幸宣(原爆の図丸木美術館学芸員)、水沢勉(神奈川県立近代美術館館長)、内山章(スタジオA建築設計事務所)、齋賀英二郎+八木香奈弥/wyes architects

開催日:2023年11月23日

会場:原爆の図丸木美術館 新館ロビー

「変化のかけらとその続き 原爆の図丸木美術館 調査の記録/改修計画案」で行ったトークイベントの記録です。美術館に積み重なってきたもの/時間を把握して、一部には新しい要素も追加して、それぞれ各部分の関係性をつなぎなおす(=再構築する)という考え方について、話しました。水沢勉(神奈川県立近代美術館長)、内山章(スタジオA建築設計事務所)、岡村幸宣(原爆の図丸木美術館学芸員)の3氏からは示唆に富んだコメントもいただきました。

 https://youtu.be/nUzGmJ2Lm3Y


映像/Movie

変化のかけらとその続き

展示「変化のかけらとその続き 原爆の図丸木美術館 調査の記録/改修計画案」関連企画

出演:岡村幸宣(原爆の図丸木美術館学芸員)、齋賀英二郎(wyes architects)

撮影・編集:川田淳

撮影アシスタント:寺田鵬弘

企画:原爆の図丸木美術館、wyes architects

制作:原爆の図丸木美術館

助成:野村財団

2023/10/7から12/10まで開催した展示「変化のかけらとその続き 原爆の図丸木美術館 調査の記録/改修計画案」関連企画。 丸木美術館の建物調査で発見した「変化のかけら」(使用と改造の痕跡)。 変化のかけらを通して見えてくるもの/考えようとしていることを紹介しました。 改修計画は、美術館がこれまで過ごした時間をふまえた「その続き」となるように考えています。

 https://youtu.be/YxRjrZU0BbA


感想/Thought

「趙根在写真展 地底の闇、地上の光 ー炭鉱、朝鮮人、ハンセン病ー/原爆の図丸木美術館」、「ハンセン病文学の新生面 『いのちの芽』の詩人たち/国立ハンセン病資料館」。2つの展示について。

それぞれ別の場所、別の企画、もちろん全然別のビジュアルの展覧会であったが、両方をひとつのものとみなした鑑賞者も多かったようだし、私もてっきり連携企画なのだと思い込んでいた。「趙根在写真展」は、丸木美術館に設計の打合せに行くたびに見た。ほとんど写真だけで構成された展示空間で、ただただ写真に見入った。連携企画だと思い込んでいた「ハンセン病文学の新生面」は、ようやく最終日の前日に訪れることができた。詩を展示する、という明確な目的が、明快に分かる展示方法で、やはりただただ詩を読み耽った。写真は、フレームなしで、直接壁に止め付けられている。詩は、シートに印刷し、140〜180cmほどの高さに四角く吊り下げられている。シンプル、と言うのは簡単だが、私には、できうる限り余計なものを削ぎ落として、写真に、詩に、こもる力を引き出そうとしているように見えた。「趙根在写真展」の図録には、趙による自伝風のテキスト(9万字ほどもあるという)も掲載されている。詩、写真、自伝。誤解を恐れずに言えば、2023年の現在には、どれもなんとも古めかしい形式の表現手段だ。しかも、それぞれ資料映像や、証言記録、紹介パネルもない。ほとんど誰も知らない作家であるのにも関わらず。ハンセン病資料館で、わずかに展示された詩人たちの私信には、とても読みにくい字が書き連ねられているが、解説も何もない。読めなければ、そのまま通り過ぎるしかない。しかし「曲がっている」かもしれない手が描いた文字であることは、否応なく鑑賞者に伝わってくる。否応なく、写真に、詩に、宿る力は、私たちに伝わってくるのだ。そして、企画者である岡村幸宣氏、木村哲也氏が、そのことを信じてやまないであろうことも。

趙の写真は、外との交流さえ限定的で、ましてや写真に映ることに強い拒絶があった療養所のハンセン病患者たちが、真正面を向いて写真におさまる点に、ひとつの特色があるという。そこに、異形のものを映し込んでやろうなどという意図は感じさせない。親密な空気が通ったのだろうと、こちらが信じたくなるような気配に満ちている。人物を通して、被写体がまとう衣服や巻きつけられた包帯、わずかに手にひっかかったキセル、あぐらをかく畳、うしろに控える障子、ごく数の少ない家具、頭上の照明器具、それぞれの要素が、妙に粒だって見えてくる。

写真は、ハンセン病患者たちが、その言葉をどんなふうに書きつけたのか、またどんなふうに読み込んだのか、も捉えている。そうして咀嚼され、生み出される言葉の密度は、普段私が目にし、叩いている言葉とは、似て非なるものであるかもしれない、とこれは、「ハンセン病文学の新生面」を鑑賞してこそ思い浮かぶ感想だ。

同じような感想を、彼らが使いこなす道具に対しても抱いた。道具は、しばしば身体の感覚器官の延長として表現される。しかし、趙の写真に映る、にかっと笑う顔にかけられたサングラス、器用に(あるいは不器用に)咥えられた万年筆、松本明星が詩に描く、動きを失いつつある手にかかえこむ『杖』、これらの道具は、身体の延長としてではなく、松本が「きれめのない闇」と表現した彼らの周囲に拡がる世界の確からしさ(あるいは不確かさ)を感じ取るために、欠かすことのできないものなのではないかと思えてくる。自分自身が周囲と接続している、接続を保っていることを確認するために携える道具。写真と詩を往復することで、趙について、詩人たちについて、こちらのイメージが喚起/増幅されていく。

道具類は、外から購入するとは限らない。「患者作業」として強いられる仕事は、言葉から想起するのとはかけ離れた広範な内容に及んでいる。義足などは自分たちの手で製作されもした。大工もやれば、道路工事も行う。豚も鳥も牛も飼う。限定された敷地の中で、規則として実現される自給自足の生活。UターンやIターンで農山村に定着し、理想をかなえるために行うものとは、まるで異なる経緯で営まれる共同体(と呼ぶのが正しいのかは分からない)のありように、静かに衝撃を受ける。火葬や、納骨堂の建設さえも患者たちの手によって行われていた。無理やりに詰め込まれて圧縮された社会の姿が写真に映り込んでいて、そこに身を置く人々が形成したものが詩篇として結晶化された、とも言える(状況は段々と改善されていったものでもあるというから、過度に想像を膨らませてはならないのかもしれない)。

不自然に圧縮された社会、という印象が手伝うのか、趙の写真にはもうひとつ気になった点がある。彼が切り取る療養所の風景は、撮影した当時にあってもひとつふたつ時代が遡ったもののように見えたのではないか、という点だ。「患者作業」にどんなに習熟していたとしても、材料、道具、技術、機械など、すべてが戦後激変する外の社会と同じようには手に入らなかったであろうし、ビルや高度なインフラ設備など都市化を前提にしたものが、療養所の中で(少なくともすぐに)必要になるはずもない。撮影されるよりも前から更新されることがなくなって、少しずつ境界の外と位相がずれて時間が歪み、そうして境界の内側に取り残されていったものが写真に映されている。と、そんな錯覚を覚えるのも理由がないことではない。しかしだからこそ、患者たちが(外の世界へと抜け出ようという意思や希望や努力とは別に)自分たちを周囲につなぎとめておくためのぎりぎりの条件がそこにはあったのかもしれない、という考えが頭をよぎる。ハンセン病資料館で松本明星の隣に掲げられていた谺雄二の『鬼瓦よ』と題された詩からも、圧縮された環境にあって、本来は通じるはずのない気脈(空に属する鬼瓦と地上を這う僕)が通じたような、趙の写真と同じトーンを感じるのは、私だけであろうか。

別々の企画として考案されて催された展示が、それぞれ見事に呼応して「ひとつの展示」になっていくという結果を目の当たりにして、いまだに冷めやらぬ不思議な気分を抱えている。

齋賀英二郎


トーク/Talk

変化の途中をデザインする

開館56周年トーク企画「変化の途中をデザインする」

出演:加藤耕一、岡村幸宣、齋賀英二郎+八木香奈弥/wyes architects

開催日:2023年5月5日

会場:原爆の図丸木美術館 新館ロビー

原爆の図丸木美術館は、丸木位里・丸木俊という二人の作家が、作品の名を冠して1967年に建設し、開館から現在にいたるまで、作家や作品とともに変化し、成長し続けてきた稀有な美術館です。

5月5日の56週年開館記念日に、美術館の改修設計を担当することになった私たち wyes architects が、美術館の建築そのものにフォーカスして、事前の調査における気づきや発見、さらに改修設計のアプローチについて語りました。

ゲストには建築史家である加藤耕一氏(東京大学教授)を迎え、司会を美術館学芸員の岡村幸宣氏がつとめています。

作家、作品、そして美術館に集う多様な人々とともに変化を続けた美術館の、次なる変化をどうデザインするのか。トークでは、かつての美術館の姿を捉えた貴重な写真資料も紹介しました。

 https://youtu.be/orCfQ5Q1b_o


記事/Article

変化の途中をデザインする —丸木美術館の改修に向けてのアプローチ—

丸木美術館とは、どんな美術館ですか?と問われたのであれば、まず原爆の図について、その成り立ちも含めて語りおこし、丸木位里、丸木俊という二人の稀有な作家のことや共同制作のスタイルに触れて、次には作品、そして二人のもとに集まり、また去ってもいった数知れない人々に関しても説くべきかもしれない。ただ、今回の美術館改修プロジェクトにおいて、私たちがとるアプローチは少しだけ異なっている。それは、建物自体に備わる価値の所在を探ることから、美術館のあるべき姿を考えるという方法だ。価値と言って大げさに聞こえたら、特徴と言い直しても良い。12年半の間、私が文化財建造物の保存と活用に携わる中で培ってきた方法の応用である。

私たちの取組みは建物の調査から始まった。調査では、作品ではなくて、床や地面、壁、天井、屋根に視線を注ぐ。幾たびも手を加えられた跡が残る壁、雨染みが点々とつく天井、天井まで積み重なった書類、とその奥で傾く本棚にぎゅうぎゅうに詰め込まれたたくさんのアルバム。調査を進めると、先にあったものを残しながら、次々と付け足していくように増改築が重ねられてきたことが分かってくる。アルバムをめくれば、美術館と呼ぶにはやや小ぶりな開館当初の建物、丸太足場を用いた増築工事中の様子、竣工したばかりの八怪堂でポーズをとる位里、雪の積もった敷地を散策しながらイタズラっぽい笑顔を向けるサングラス姿の俊が見つかる。その次には、最初は不定期に刊行されていた美術館ニュースにも目を通す。関係者からは、途切れ途切れの思い出話や、又聞きの逸話を聞いたりもする。会ったことも見たことさえもない二人の作家、この場所に足を踏み入れた有名無名の人々が、次第に像を結び始めて、まるで美術館を舞台にした無声映画のように、ぎこちなくうごめきはじめてくるようだ。ただし、いくら凝視しても解像度は決して上がらないし、ちぎれた思い出に、分かりやすい起承転結があるわけでもない。私たちは、あくまでも物語からはこぼれ落ちてしまうしかないような、しかしだからこそ、そこに人の手が触れて、足で踏み締められた感触を確かめることができるような、細部や断片(変化のかけら)を探索していく。

言い換えるなら、建物を調査すること、とは、一つひとつは物言わぬかけらをきっかけにして、いままで見えていなかった丸木美術館の姿を自分たちの手で描き直してみることでもある。ある人にとっては、くたびれ果てて膝の崩れた役馬のように見えるかもしれない美術館の建物は、私たちの目には、作家や美術館スタッフによって、使い込まれ、鍛え抜かれた頼もしい古道具にも似たものとして映り込む。そうして今度は、描き直した姿を下図にして、次の10年、20年、さらにその先へと、原爆の図を残し伝えていくための丸木美術館のあるべき姿を重ねて描こうとしている。

古道具だと喩えるのなら、役目を終えたものとして、大切な作品を納める建物を最新の器に変える選択をすることにも一考の余地はある。しかし、丸木美術館は1967年の開館当初から、数年おきに少しずつ、あるいは大胆に手を加えられながら、作家、作品、人々とともに変化し続けてきた美術館だ。時には明確な目的を欠いたまま場当たり的に改造されることもあったがゆえに、今となっては理解しがたい不思議な隙間や突起物がそこかしこに見つかる。だが、一見すると計画と無計画がごちゃまぜに集積したように見える建物に、作品もスタッフも、そして美術館を訪れる人々も、ごく自然に無理なく順応している。そんな変化の歴史に目を向ければ、ある意味で美術館の建物は、作品とすでに不可分なほど癒合している、とさえ感じられてくる。私たちが思い描くのは、美術館が経験してきた変化/進化の延長線上にあって、次の変化に備えるために、いま必要な姿へと、美術館を漸進的に更新するような改修プロジェクトだ。

齋賀英二郎


丸木美術館ニュース 第153号

発行日:2023年4月15日

編集・発行:公益財団法人原爆の図丸木美術館


感想/Thought

「母袋俊也展 魂ー身体そして光」展覧会図録

はじめに、母袋による、作家自身の経験と、《原爆の図》と丸木美術館の成り立ちを重ね合わせた、一読すると、得心がいくような、しかし企画展図録冒頭のテキストとしては、一風変わった印象の言葉が並ぶ。このテキストは、自らの言葉で、母袋俊也ー丸木位里ー丸木俊(赤松俊子)ー原爆の図ー丸木美術館の連なりに、ある脈絡を与えようとする試みとしても読むことができる。

岡村幸宣の論稿では、丁寧に作家の制作とその変化を追いかける。母袋による表現は、こうして別な言葉によってトレースされ、翻訳されることで、また少し異なる文脈に接続されていく。最後の一文は、ひとつ前、蔦谷楽の企画展を想起させつつ、《原爆の図》への解釈を開いたままに終える。丸木美術館における企画展が、輻輳するテーマが呼応し、反響しながら、ひとつながりの系譜をかたちづくっていることに、改めて気付かされる。

後藤秀聖のインタビューは、美術館のYouTubeチャンネルにも、インタビューに応える作家の様子やアトリエの風景が、動画で記録されている。図録にのみ収録されている聞き手の問いかけは、それをきっかけにして、作家の思索と作品に、読者(と視聴者)が近づいていく手引きとなっている。

写真家内田亜里による、作品と会場風景写真の流れるような構成(展示順に並べられている)を含めて、作家と丸木美術館の現在が記録された貴重な一冊だ。

最後に。あくまで建築目線で言うと、《美術館構想のためのプランドローイング》(2022、No.13)は必見だ。実際よりも急な傾斜に見積もられた斜面、南北が反転した建物と斜面の位置関係、立面の横に描き込まれていく作品展開図、屋根を突き抜ける梯子。美術館が、いかに母袋に着想を与えたのか、そして母袋が、どう美術館をいかして見せるのか。このドローイングが、私たちを勇気づけてくれる。

齋賀英二郎


「母袋俊也展 魂ー身体そして光」展覧会図録

執筆:母袋俊也、岡村幸宣、後藤秀聖

会場写真撮影:内田亜里

発行:原爆の図丸木美術館 2023年1月

https://marukigallery.jp/5784/


トーク/Talk

変化のかけら —丸木美術館建物調査から見えてきたもの—

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出演:岡村幸宣、齋賀英二郎+八木香奈弥/wyes architects

開催日:2022年12月10日

主催:公益財団法人原爆の図丸木美術館

助成:公益財団法人ポーラ美術振興財団

原爆の図丸木美術館は、画家の丸木位里と丸木俊が、共同制作の「原爆の図」を展示するために建設し、何度もくりかえし改築と拡張を行ってきた美術館です。
しかし、近年は老朽化が進み、絵を守る性能を高めるための改修工事を行うことが決まっています。

そこで、私たち wyes architects は、美術館とともに、これまでの歴史と現在の状況を調査し、画家や絵とともに変化を続けてきた美術館の建築を記録にとどめる作業を行ってきました。

この美術館には、よく観察すると、一見、不思議な部分がたくさんあります。人ひとりがようやく通れるすき間、階段の途中にある物置、壁のあいだに差しこまれた収納、途中で変わる床の高さ、ふさがれたいくつもの開口部などなど。それらは丸木美術館の 55 年の経験であり、多彩なノイズとなって美術館に表情を与えています。

トーク(オンライン)では、調査によって見えてきた、美術館に残る使用と改造の痕跡=「かけら」の記録の一部を、図版とともに紹介しました。

 https://www.youtube.com/live/Y-iFaw_3faQ


ハンドアウト/Handout

"TOMIOKA" 田村尚子 写真とインスタレーション

ほとんど忘れ去られかけている、あるいは私たちの多くが記憶するよりも前に忘れてしまっていて、しかし再び思い出されるのを、ただじっくり待つともなく待ち続けている。そんな風に表現してみたくなる場面が富岡製糸場のいたるところに潜んでいるのだ、と田村尚子の写真は教えてくれる。
富岡製糸場は、1987年に操業を停止したあとも取り壊されることなく守られ、その後、所有が片倉工業から富岡市に移り、公的に保護の措置が図られることとなった。2005年から日本を代表する産業遺産として公開されており、2014年の世界遺産登録、2020年の西置繭所保存整備工事竣工と、ゆっくりとだが着実に、公開範囲を広げている。しかしながら、100を超える建造物と工作物を保存しながら公開することは容易ではない。保存のための工事も難易度が高く、細心の注意を払って進めなくてはならない。そうした訳で、未だに公開できないエリア、建物が多く残る。そこには、停止した状態のままの機械、従業員の名札、生糸の生産状況を記した黒板のメモなど、つい数年前まで、工場として稼働していたのではないかと錯覚するような気配に溢れている。

田村尚子は未公開範囲にも分け入って、耳を、目を、澄ませて場内を歩き撮影を行なった。そして、すでに公開されている範囲でも、やはり同じ仕方で撮影した。田村の写真を見ていると、シャッター音の反響に、生糸を巻き取る枠の回転音の残響や、仕事を終えて作業着を洗濯する水の音がかすかに紛れて聞こえてきたのではないかと思えるようであるし、肉眼では見ることができない、台車を押して廊下を通り過ぎる従業員や、仕入れたばかりの繭を乾燥にかける機械のバルブを調整する人夫の残像が、写り込んでいるかのように想像することも許されるような、そんな気がしてはこないだろうか。

齋賀英二郎


 "TOMIOKA" 田村尚子 写真とインスタレーション