家がみる家の夢の話vol.1_01

目黒の家設計図。建築家が保管していたもの。青図の上に、畳の割付や家具の配置、修正が書き加えられていく。赤坂から目黒へと家屋を変換する試みのあと。

家がみる家の夢の話 - vol.1 -

2021年〜(継続中)

共同:Hahn Wensch Architekten

目黒の家 設計:廣田豊

写真:門馬金昭(赤坂:撮影1987年), wyes architects(目黒:撮影2022年)

協力:服部建設工業

このプロジェクトは、Hahn Wensch Architekten と wyes architects が共同で進めている。

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昔、日本の建築事務所でインターンとして働いていたとき、同僚からインターン中に住んでいた祖父母の家の特徴を聞かれたことがある。1980年代後半に日本人の建築家が設計した家だ。私は適当な答えが見つからず、やけっぱちでこう言った。「キッチンにシンクと蛇口が2つあることかな!?食器洗い機もオーブンもある、日本にしては上等だけど、一度も使ったことがない...」そしてまるで言い訳のように後から、この家はかつての祖父母の家、大きな和風の庭を持つ大きな平屋をモデルにして建てたことを説明しただけであった。「…基本的には赤坂の旧家を圧縮して立方体に積み上げたことで、目黒の新居がなりたっているんだ。」

その時の私の反応からすると、この新居に建築的な良さ、少なくとも私が十分に胸を張って語れるようなものはどうしても見出せなかったように思う。大きな開口部、壮大な空間、大胆な構造、コンクリートやスチールなどの素材を使った現代建築とはほど遠かったからだろう。当時、私たちが大学で学び、賞賛していた現代建築の規範の中では、この勾配屋根の、和洋折衷の、地味な小さな木造建築は、位置付けできなかった。

一方、赤坂の大きな家と大きな庭を、私は個人的にとても懐かしく思っていた。建築的に特に秀でたわけではないが、赤坂の家には歴史的な要素もあり、精巧につくられていて、何よりも堂々とした佇まいがあった。私の思い出の中では、赤坂の家はそのころにはすでに過ぎ去っていた日本における私の家族の黄金時代を象徴するものでもあったのだろう。
高齢な祖父母にとって、赤坂の家と庭はいつしか広くなりすぎていた。老後は静かな場所にある小さな家で過ごしたいと考えた。そして年取った夫婦の日常を思い遣って、目黒の新居はできる限り前と同じように暮らせるように配慮して建てられた。

目黒には色々なものが引っ越した。家具や照明器具はもちろん、襖や障子、ガラス戸、雨戸、天井板、丸木の柱、玄関の板、植木や低木、飛び石、立石などなど。
それらは丁寧に取り外され、寸法を測られ、調整され、再び設置され、あるいは植栽された。
新しい、しかし古い家で慣れ親しんだ空間の連続、空間関係、空間比率、開口部がつめ込まれた家へ。

今では目黒の小さな家も古くなり、私の祖父母はもういない。
しかし、古い家から来たすべてのものはまだそこにあり、静かにその物語を語るのを待っている。私は、感謝と敬意を持ってこの家を眺める。そして建築とは何であるかをもう少し理解できたような気がする。私たちを取り囲み、受け継がれていくものと空間への敬愛についての小さな物語でもあるのだろう。

- Hahn Wensch Architekten

家が家の夢を見ている、などと、それこそ夢想してみることは、あるいは荒唐無稽なことかもしれない。だが、ことこの家に限定するならば、あながちそうとも言い切れない。
たまたま、一家の一員である真依子さんが私たちの友人で、たまたま彼女は建築家で、たまたま、建築家が設計した彼女の祖父母の家を私たちはどこかで気にかけていて、たまたま近所に住んでいたこともきっかけとなって、今はドイツに住む友人であり建築家である彼女とともに、この家を舞台にしてプロジェクトを始めることにした。

ー 広すぎて赤坂の家を手放すことになった老夫妻は、最後の家を目黒に建てることに決めた。この目黒の家は、住み慣れた赤坂の家の様子をできるだけ再現するように設計された ー

聞き流してしまっても構わないはずの、そんなエピソードを手がかりにしながら、私たちは、修正やディテールが描きこまれた青焼き図面、取り壊される前に写真家が撮影した赤坂の家の写真、赤坂に計画されたが結局建てられることのなかった茶室の図面などを観察し、もとの家主が生前に書き留めた、商売道具である骨董品やそれらをめぐる交友録を記した文章を読み、友人、彼女の母、従兄弟が語る家や家族の思い出に耳を傾け、赤坂から移植した木々が生い茂る庭を横目に、やはり赤坂からそのまま運び込まれた家具や照明、赤坂の家から生け捕りにして再使用された天井板や下足入れを調査したりしている。ときに不正確で、曖昧で、断片的でもある有形無形の記録/記憶に触れていると、いつの間にか、自分たちが見たこともない光景、嗅いだこともない香り、体験したことのない団欒を、単に推測するのではなく、共に反芻しているような気分となっていることにふと気づく。単に、彼女/彼らに感化されて、移入し同化してしまっているというのではなくて、この家自身が、まだ赤坂にあったころを思い出す、または夢見る情景の中に、紛れ込んでしまったのかもしれない、という心地なのだ。

- wyes architects

赤坂

家がみる家の夢の話vol.1_02

目黒

家がみる家の夢の話vol.1_03


10畳の和室は8畳に変更された。南面した縁は省略し、掛込天井として庇を内部に表現することで縁の雰囲気を再現している。床の間と襖の配置、聚楽壁/木部/畳の配色、持ち込まれた吊り照明が、赤坂を思い起こさせる。

赤坂

家がみる家の夢の話vol.1_04

目黒

家がみる家の夢の話vol.1_05


庭に面した木製のガラス戸と雨戸は、赤坂の建具をそのまま用いている。「建具に合わせて開口部を造作する」。赤坂の家を建てた大工の弟子筋が目黒の家を建てた。

赤坂

家がみる家の夢の話vol.1_06-1

目黒

家がみる家の夢の話vol.1_06-2

玄関の式台、下足入れも赤坂から。能く能く測ってみれば、下足入れの扉は目黒の家の寸法にわずかに合っていない。大工の苦心と、そして技術を少し読み取る時間が生まれる。

赤坂

家がみる家の夢の話vol.1_07-1

目黒

家がみる家の夢の話vol.1_07-2

図面の方位を合わせると、南の庭、庭に面したダイニング/縁側/和室の構成、飛び石や樹木や金魚鉢までが丁寧に工夫して移されていることが分かる。

家がみる家の夢の話vol.1_08

今の目黒の家、そして赤坂の記憶を頼りに、図面を読み込んでいく。プロジェクトは続く。